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写メ日記

れの
れの(34歳)T157 B88(D) W62 H90 プロフィール詳細

蝉は鳴き、お盆が近づく

今日も暑い。
外でジリジリと蝉が鳴く。
無情にもその命は短い。
それを知るか知らぬか蝉は鳴き続ける。
或いは本能がそれを悟らせているのか、それでも鳴き続ける。
きっと今、この一瞬を大事にしようなんて思ってはいないだろう。
今、この一瞬、鳴きたいから鳴くだけであり、鳴く必要があるから鳴くのだろう。
それが野性であり、本能なのかもしれない。
自分達がこの世に生まれた意味とは何なのか。
一匹一匹がそんなことを考えることもなく、そんな時間も与えられずに命が果ててゆく。
それが毎年繰り返される。

一方私たちは蝉と比べたら、永遠とも思える寿命を与えられている。
この世に生を受け、常に未来を見据えた教育を受け、社会に出て労働を課せられる。
この中で自ら命を絶つ者もいる。
そして、常に希死念慮を持ちながらも生きている者もいる。
私たちは頑張ることを義務付けられ、頑張らないことを悪と見なすようにすり込まれた。
そして、『死』を語ってはいけないと。
それは非常に息苦しく、心に負の感情が貯まっていく。
誰かに話したいけど話せない。
話したとて自分語りされたり、大騒ぎされたり、説教されたりすることが多い。
SNSも凍結される可能性がある。
助けを求め、限界を訴えても、更に頑張ることを強要され、無神経な言葉を投げつけられる。
そして、とうとう自ら命を絶ってしまった人に向けられる言葉も救いようのないものである。
彼らはどう生きれば皆満足したのか。
そして、彼らが命を絶つ原因になった人間は生き続ける。
彼らの命は何であり、誰のものだったのか。
私は思う。
命を粗末にしたのは彼らではなく、彼らに自ら命を絶たせた原因を作った者達だと。

暑い昼下がり、蝉は鳴いている。
蝉は短い一生を終えても弔われることもなく、朽ち果てる。
私たち人間は命を弔う気持ちを持っている。
その優しさを現世の命あるものにも向けてみてはどうだろうか。
今年もお盆がやってくる。
すべての命に優しさという花が降りそそぐことを願っている。
礼拝(真宗本願寺派)。

















2024/08/04 13:59:49
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